映画:人魚の眠る家
ここからは、新しいPCでスターㇳ (*´ω`) ~✨.。
人魚の眠る家 ☺☺☺
東野圭吾さんの本が映画化です。
ある日突然起きたプールでの事故
誰も予想してなかった出来事
優しくて思いやりのある娘は、その事故以来、植物人間状態になります。
脳死判定は受けてませんが、医師からはおそらく脳死の状態でしょうと話がありました。
娘の状態に、母親、父親、おばあちゃん、弟くん、周りの人達‥
皆の生活や感情が変化していきます。
映画の内容的に、
あちらこちら、疑問な点は多々ありましたが、
そこは置いといて。
お母さんの、子どもへの愛情の強さ、
追い詰められた時の、わずかな気持ちのはみ出しで 簡単に理性が外れていく様
そういうのが とてもよく描かれていた印象です。
全体的に、面白かったです✭
人の辛い部分を沢山見せている感じの映画にみえましたが、
そんな辛い所から抜け出せずに、一人で抱え込んだ場合
いったい何が正しくて
何が正しくないのか
人間は、簡単にわからなくなる生き物なんだなぁと思いました。
それは、 映画のお母さんに限る話ではなく、
究極に追いつめられた時には、どんな人間でも、訳が分からなくなってしまうのではないかと思い感じました。
自分の気持ちがコントロールできる範囲ってのから
外れちゃうのって
意外と簡単なのかもしれないですね。
そしてそして~
臓器移植を希望する人だけが、脳死判定を受けられるんですね。
じゃあ、希望しない場合は、植物人間の状態になっている人が脳死かどうか 誰にも確実にはわからないんですね。
ならば「おそらく脳死状態でしょう」というコトバは、実際の現場では使ってほしくないですね。混乱しそうです。
だから、もし実際にそういう状況になった時に、
いやいや、そう言われても ってなる気がするし
外見の変化とかで(映画では綺麗な女の子でしたね)、徐々にショックを受けるかもしれないし、
反応が無い相手と共に過ごすのって、結構辛くなる時もあるだろうし、
でも自分との血のつながりは確かにあって、
これまでの思い出もいっぱいあって…
この状態になると、一体将来どうなっていくのかとか、
自分と相手との気持ちの踏ん切りがつかない時とか
どうしたらいいのかわからないままな感じになりそうだなと思いました。