映画:ロストケア
映画 ロストケア
🌝🌝🌝
楽しい、嬉しい、怒り、悲しいなどの感情がある中、
今回の映画は、悲しい、辛い、怒りの感情に焦点を当てていました
心優しい介護士の宗典
介護の必要なおじいちゃんおばあちゃんの事、
その家族の事も、
双方をよく観察し、双方の反応を敏感にキャッチしていました。
個人的には、共感できた映画でした。
介護は、やっぱり経験しないとわからない所が非常に大きいと思います。
認知症も同じなわけで。
今までの親のイメージが、ガラガラと崩れ落ち、嫌なセリフを吐かれ、頑固な行動をし、
増えるだけの介護量。
でも、時折感じる親の面影。割り切ろうにも割り切れない、辛い気持ちになることも。
自分が小さい時は親の世話になり、大きくなったら、恩返しに親の世話をすると言うのは、当たり前の事だとは思いません。
そういう社会があれば出来ると思いますが、
現代は子どもの数も減り、親の介護は数多い子ども達で手分けして関わっていくわけにもいかず、
数多い子ども達が皆仲良く、手を取り合って親の介護ができる状況にあるわけでもないと思いますが
子育ては1人では出来ないと言われる現代、
保育園があり、ベビーシッターがあり、じいじばあばのお手伝いがあり、夜間保育があり、病児保育があり、子育て給付金があり、医療助成があり、そのおかげで両親は社会で働く事も可能になってくる。
介護も1人では出来ない。じゃあどんな制度があるんでしょうか。
社会はどう力になってくれるんでしょうか
小さい赤ちゃんは、トイレができなかったところで、いずれ年を重ねれば、トイレに行く事ができるようになりますよね。一つ一つ成長していき、数年はかかりますがトイレも自立、ご飯も自立。親への愛を言葉で伝え、抱きついてくる。
でも
高齢になっていく認知症の方は別ですよね。
先の見えない育児、ならぬ、介護。
トンネルを抜けるのは1年後か、もしくは5年後か、10年後、もしかしたら30年後かもしれない。
そして気づけば自分も年をとり… と、想像してしまうと、自分の人生にぽっかり穴が開く様に思う。
そんなの
いくら聞いて
いくら想像しようにも
未経験者には想像できない。
でも、
事実を知っていく事はいずれ誰でも役に立つ
体も心もこたえる介護生活の中、
映画に出てくる役所の人の対応って何なんでしょうね。
「大変だと思いますけど頑張ってください」のセリフだけで、何が救われるんでしょうか
国市町村の住民をサポートする仕事のはずなのでしょうが、
あまりに他人事の対応すぎますね。
そのセリフだけで介護と仕事と生活の両立が出来るようになるんでしょうか
でもそんな悲しい出来事は、きっと溢れかえるほどあるんですよね。
介護疲れなんてワード全然珍しくないし、介護のために仕事を辞める人も見ます。
家で親の介護をしていると聞けば、大変なんだろうな、というイメージはすぐに出てくるけれど、自分の身に起こらないと立場を理解できない。
自分が困った時、辛い時、具体的にはどんなサポートがあって、どんな条件でそのサポートが受けられ、どうしたら生活していけるか
そんな知識を、子どもの頃から知っておく事は、将来の自分の役に立つ事だと思いませんか。更には社会に役に立つ事だと思います。
平等に知識を知るにはやっぱり学校で学ぶのがいいのかな
大人になり困っている最中は、日々に追われて、疲労を抱えて、なかなか自分で調べようという超人的な精神力のある人はいないと思います。
検事さんが話す正論、
宗典さんが話す正論、
裁判官が話す正論、
すべてその人にとっての正解なので、どっちが正しいとは決められない。
裁判で決めるには難問です
その正論に至る根っこの理由を、相手の立場に立って理解しようとすると、時間がかかる。
でも、そこに基本的な事が隠れているんですよね
根本の理由は介護疲れ。
親への愛情から介護を始めますが、
仕事が続けられず、
親の症状は日に日に赤ちゃん返り
その状況にどうしたらいいのかわからず、
行き詰った時に、親から殺してくれと頼まれる。
基本があり続けるなら事件もあり続けるわけで。
令和も来て、
多様性も注目される現在
子どもの数は減る傾向
女性も社会で働く時代
昔と違う、変化がある
医療が発展
AIも登場
そして制度は未だに昔のもの それだと、ひずみが出てきそう
映画では、殺人という形で解決していましたが、
人と人を思うなら、
一緒に話し合い、介護する家族達が何を必要としているのかを探り、一緒に歩んで行ける方法だと良かったのかな
中には介護を続ける事に意義を感じる人もいるでしょうし(多様性ですから)
人の困りごとは、人それぞれですからね。
全員が全員苦痛でない場合もありそうです。
で、そういう事をするのは家族や身内といった、親しい人達だけかな?仕事とは言え赤の他人でもしてくれるかな?