おとなの発達障害…「ふつう」ってなんだろう

他の人と何かが違う。でも、何が違うの? 私、おとなの発達障害です☆☆ 

映画:マグダラのマリア

☺☺☺

エスの近くにいる、マグダラのマリアがどんな人か のお話。

 

マグダラのマリアって言うと、

 

娼婦ってイメージが…

 

最初に思い当たりますが、

 

全然違いますよ という話です。

 

怖い場面も エグい場面もそんなになく、

 

見やすかったです。

 

&、

深くて面白かったです。

 

 

 

マリアは、出産中の苦しみ叫ぶ女性に寄り添い、(産婆じゃないですが)

相手の目を見て 近くにいて 安心させてあげるような、

やさしくてしっかり者の女性でした。

 

でも、結婚して子どもを産む人生というのをしたくなかった彼女は、

 

婚約を断り

 

家族に非難され

 

結婚したくないと言い出すのは、悪霊がついているからだと、

 

悪霊を取り払う儀式として、何度も水の中に沈められてしまいます。

 

あの時代は、みんな、そういう考え方だったんですね …((=_=;)

 

 

それにショックを受けたマリアは、

 

自分は おかしいのかと悩み

 

元気もなくなって…

 

そこで家族は、癒しが出来る人、と定評のイエスに、訪問を依頼します。

 

エスは、マリアの考えをすんなりと受け入れ、「何なら、自分もそうだよ」的な感じで話ます。

 

マリアはそれからは、イエスが気になります|ω・)

 

家にいても、今後結婚は逃れられず、

 

自分の考えは表に出せず、

 

かと言って、周りに従う気持ちにもなれず、

 

彼の話を聞いていると、自分の中の何かを見つけ出せそうで…、

 

エスの元を追い、出家✨ 女性初?

 

 

 

エスの弟子は、全員男

 

新入り&女のマリア肩身が狭いんですが…

 

女性ならでは(彼女ならでは?)、お世話が上手で、

エスが歩いての旅に疲れているようなら、察して足を洗ってあげたり

気分が悪そうだったら、側で声をかけたり

(イエスもよく疲れてるんです。もともと体力的なものなのかなぁ?)

 

 

そうしてると、

 

エスと一緒にいる時間も増え

 

エスが発する言葉から、彼の人間味を感じ

 

エスも一人の人間で、確かにすばらしい事もするけど、

 

弱音もある

 

と 知っていきます。

 

もちろん、

 

気になる存在にも‥✧♡

 

 

 

エスは時々、お母さんに会いに行きます。

 

お母さんは、育てて来た息子と、

いずれは永遠に離れ離れになってしまう事を 何となく知っていて、

わが子との時間は、心配な気持ち、嬉しい気持ち、苦しい気持ち …複雑です。

 

 

 

 

ユダは、すごく熱心に神の国を信じていて、

 

たぶん、それを糧に生きてきていて、

 

飢えて死んでいった妻とお腹の子どもの元に、

 

すぐにでも

 

自分も行きたいと

 

いつも 

そう思っていたのかな

 

でも、神の国では、愛する者とも一緒に暮らせる

 

そう信じて 信じて 信じて… だから 生きてきて

 

エスが、本当に神の国を築いてくれるのか、ふと疑問が沸いたとき、

 

その信じる心は、

 

一気に

 

不安と恐怖へと変わり

 

裏切ってしまったのかもしれません。

 

 

 

エスは、繊細で たくさんの純粋な心がある人で、

 

ちょっとした特技で皆が驚きますが、

 

本人的には、

 

皆も自分と同じような事ができる

 

憎しみを捨てて すべてを赦せば、いずれそうなれると言い、

 

未来が見えるから、 自分の死ぬ状況も見えていて、

 

それが怖くて(そりゃあ、はりつけの刑って痛いですもん。やりたくないです)

 

なかなか決断がつかなくて、

 

勇気がでなくて

 

でも、やらなきゃいけなくて。

 

例えば、妊娠したからには、妊婦さんは出産という激しい痛みを伴う日が必ずやって来るように

 

生まれたからには、はりつけの刑に合わなきゃいけないような

 

そんな

 

逃れられない彼の運命なんでしょうね

 

マリアは、出産する女性を励ますような 強い女性で

そんなマリアとイエスが出会ったのも、偶然ではないかもですね

 

 

お母さんは、はりつけの刑で亡くなった息子を胸に

泣きながら

痛かったでしょ?痛いの痛いの飛んでいけー

って感じで

何度も何度も イエスの体にある傷にキスをして 抱きしめていました。(´;ω;`)

皆にとっては、救世主でも、

お母さんにとっては、一人の大事なわが子なんですよね…

 

 

弟子も、周りの信者も、皆

 

エスがこの世の中を何とかしてくれて

 

素敵な 素敵な

 

国が

 

現れると思っていましたが、

 

マリアはそうではないと知っていて

 

神の国は、

 

形として現れるものではなくて、イエスが作るものでもなくて、

 

自分の心がそうなるように

 

自分で努力していたら、

 

いずれ

 

穏やかな心が

 

理解でき、

 

それがまさに例えて言うなら 神の国だと 思っていて

 

だから

 

エスは死後、マリアにだけ、自分の復活の姿を見せて、

 

去っていったんですね。

 

 

この映画を見るだけで、社会の教科書のイエスキリストの項目 最後の晩餐の有名な絵などは、大体理解できそうだと思いました。

最後の晩餐の場面…

そこでご飯を食べてる皆(弟子とイエス)の、非常~~に複雑な心境が 何とも言えなかったです。

食べてるご飯 美味しくないんじゃないかと思いました。

 

 

ちなみに、イエス

漫画「聖☆おにいさん」(ブッダとイエスが地球で2人暮らしする漫画です)の、イエスのイメージにすごくよく合っていて、ちょっと可笑しかったですが、リアリティーが出ていてすごく良かったです。